『杜子春』

日記

人間らしさ。

芥川龍之介の『杜子春』を読んだことがあるだろうか。ある日杜子春は、夕暮れどきに洛陽の西の門で途方に暮れていた。もとは金持ちの出だが贅沢をして無一文になった。彼のもとに現れた仙人に今晩泊まるところがなくて困っていると答えると、仙人は『夜中におまえの影の頭にあたるところを掘りなさい』と告げる。掘ると、彼は一夜にして大金持ちになる。そして一文無しに。2度目も仙人のおかげで、再び大金持ちになる。そして一文無しに。しかし3度目に仙人が宝の場所を告げようとした時、杜子春は『もうお金はいらない。』『あなたの弟子にして欲しい。』と言う。すると仙人は『何があっても声を出してはならぬ。』その言葉を残して去り、彼が仙人に相応しい者かを見極めていく。彼は約束を守り続けた、胸を撃ち抜かれ魂となっても、閻魔大王の前でさえ声を出さなかった。しかし、目の前で痛めつけられる父母の姿に目を瞑っていたが『私たちはどうなってもいい。』その母の声を聞き、我慢できずに教えを破ってしまう。気づくと彼は西の門にいた。仙人が再び『今のおまえは何を望む。』と尋ねると、『私は人間らしく正直な暮らしがしたい。』と杜子春は答えるそんなお話。…人はお金持ちには愛想いいが、お金が無くなると見向きもしない。そして、人はお金があると贅沢をしたいと思うし、その欲には際限がない。一方、杜子春が悪人かと問われるとそうでもない。いつの世も人の善悪を区別するのは難しい。家族の多かった昔と違い核家族化の進む今日では、間違いを誰に諭して貰えばよいのだろうか。ましてや、一人暮らしの若者がことの善悪をネットや書物のみで判断することは可能なのか、溢れる情報の中から自分に相応しい答えを探し出せるのか。小学生の私は芥川龍之介の本を読み、正直者がしあわせに暮らせる日本に生まれてよかったと思った。私が「人間らしさ」について考え始めた頃の話だ。

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