夏と秋の狭間に。
出張も兼ねて、母と一乗谷に行った。それはまだ夏と秋の狭間の汗ばむほどの暑い日だった。午前の仕事が早く終わったので、母と一緒に車で向かった。数日前に地元の方から『流行りの観光地もいいですがこの辺に来られたらぜひ、一乗谷は風情があっていいですよ。』とお聞きしていたので、ロマンスを求めていざ出発。山を登りながら朝倉氏の館跡や庭園を巡る。その間、当時の戦国時代を想像しながら、たちまち母と私は歴女となった。パンフレットを片手に、枕木に腰掛けて時空を越えた。途中には茶店のお抹茶とともに、茶菓子もいただいた。400年の時を超えて、それは私と母を夢中にさせた。ふたりが見た今日の景色は、100年後の人達の目にどのように映るのだろうか。
朝倉家の広い庭園にはかつての立派な屋敷の面影はなく、樹齢数百年の大木だけがそびえる。今となっては、木材で建てられた城は朽ちて土台の石だけが残る。だがここに立つと、残された大木が目の前に数百年前の景色を映し出す。命が宿っているから、大木は残ることができた。ふと大木の下を見下ろすと地面の所々に小さな穴がある。長い幼虫生活の後、蛹になるために出ていったセミの穴だ。大木の表面に目を凝らすと、地面から数十センチの所にはセミの抜け殻がいくつか残っていた。戦国時代を生き抜いた目の前の大木だけが、一乗谷の今と昔を知る。そして、命ある限りセミは精一杯にひと夏を生きる。
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